Museum of Niigata Univ. Phys. & Eng.

江戸時代の度量衡

 江戸時代の度量衡は尺貫法で表わされていました。この「尺貫法」と言う名称は,明治8年の計量単位統一のきに命名されました。明治19年(1886)明治24年(1891)に国際条約(全世界の単位をメートル法に統一すること)に加入しました。その後,国際化や技術革新に対応すべく計量法は数度にわたって改正されてきました。大正10年(1921)の4月11日,改正「度量衡法」が公布されて,日本の長さの単位は基本的にメートルを使用することが決まりました。この日はメートル法公布記念日とされています。昭和41年(1966)に改正「計量法」により,尺貫法による定規や升などの製造販売が禁止され,尺貫法は消滅しました。しかしながら,尺貫法は古来より日本人の暮らしの隅々に浸透し,伝統文化の形成に深くかかわり,日常生活に使うのには非常に便利なことから,今も暮らしの中に生きています。
 「尺貫法」の名称は,長さを「尺」重さを「貫」の単位で表すことに由来しています。尺度「曲尺」は中国が起源とされ,大宝律令(701)で日本の尺度として定められたました。 この曲尺は,発祥地の中国はもちろん,韓国や台湾へも早くから伝わり,千年以上にわたる建築の尺度とされてきました。しかしながら,尺貫法の単位はメートル法とちがい,基準になる原器がきめられていたわけではない。
 長さの単位の「尺」は前腕の長さ(尺骨の長さ)から,重量の単位の「貫」は銭貨一千枚の重さから来ています。大人の身長がおよそ一間(六尺)で十分収まることから住居の間取りの基本単位が一間となっています。さらに,畳が敷き詰められるようになってからは,畳の大きさが部屋の広さを決める基準となり,「坪」という面積の単位になります。畳の大きさは六尺×三尺ですので,襖や障子,箪笥や長持の大きさもそれとの釣合の良い尺度となり,非常に合理的でした。こうした倍数関係で統一するモジュールの考え方が,西洋建築に広まったのは20世紀に入ってからとのことです。

メートル法との対応
明治8年の度量衡法で次のように定められた。
<長さ>
一尺=十寸=30.3cm
   一寸=十分=3.03cm
<距離>
一里=三十六町=3.93km
     一町=六十間=109m
         一間=六尺=1.82m
<面積>
一町=十反=三千坪=99a (1a=10m×10m)
<容積>
一石=十斗=百升
      一升=十合=1.8L
<重さ>
一貫=千匁=3.75kg
一斤(きん)=160匁=600g

(S.Harada)
参考文献:
「単位のしくみ」高田誠二,2001,ナツメ社